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鈴木周作抄訳『ペルリ提督 日本遠征記』テキストデータ化:5.1-1 遠征隊派遣の目的

『ペルリ提督 日本遠征記』

この投稿は、明治末に出版された『ペルリ提督 日本遠征記』(鈴木周作抄訳)をテキストデータ化する作業の一部である。作業の概要については小ネタ:鈴木周作抄訳『ペルリ提督 日本遠征記』テキストデータ化:1.はじめにを参照のこと。

  • 入力が難しい、あるいは字形の無い箇所は、代字とともに■を置く
  • 「現代文訳」はかなり意訳している
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やっと第一編で、今回はその一。

原文ではなんと本文が総ルビ。さて、ルビつけはHTMLのrubyタグで行うべきか。少なくとも任意の記号を使って表現するよりは、後からどうとでも変えられる。しかしそれでは入力の手間が大きい。悩むが、ルビつけは後回しにする。全て入力し終えてから、まとめてルビ付けしよう。

現代文では、「開発」という単語の置き換えに悩む。文脈からは、現在の開発という語とは一致しない意味を感じる。開拓とか、開国とかいう方が近いようだが、しっくりこない。ひとまず開発のままにしておく。

原文

ペルリ提督 日本遠征記

文學士 鈴木周作抄譯

第一編 日本遠征艦隊■の卷

一 遠征隊■派遣の目的

總ての點に於て、日本帝國が心ある世界の人士から特別の興味を以て注目されしは久しい以前よりの事で、殊に此の著名な國が不思議にも最近二世紀間鎖■國政策を執り、外國との交通を絕ちて自から進んで國を鎖■さうとするに至りて、歐米人の興味は一段と高まり、好奇心は殆ど其の絕頂に達し、隨つて各方面の熱心家は我こそは此の絕東の寶庫を開いて、今日迄此の自求的孤立國に就いて知られて居る僅かな智識に更に新たなるものを加へようと躍起り出した。政治家は國家の組織制度法律等を、地理學者は風土氣候山川原野の狀態等を、又博物學者は動植物等を、航海者は岩石暗礁風位潮流港灣等を、商人は産物興行其の他貿易賣買の情■況需要品の模様等總て商業上の事項を調査せんとし、宗教家は異端邪教の國民に基督教の福■音を傳へて、彼等を基督教國の仲間に引入れようとする。其の他、人類學者にあれ文學者にあれ、其の人々に依つて目標こそ異なれ、此の廣大にして有望なる未知の國土をば開發せんとの大目的、大希望に於ては悉く一致して居たのである。

是より先、日本開發の企は既に幾度か試みられ、葡萄牙、西班牙、和蘭、英吉利、佛蘭西、魯西亜等の諸國は競うて日本と商業上の關係を開かんと努めた。就中、葡西二國は巧みに成功して、兩々相並んで其の位置を保つて居たが、やがて葡萄牙人は放逐せられ、次いで英吉利人も亦自から日本を見棄てて去つたので、基督教國民としては、唯和蘭人のみが支那人と共に長崎の出島で通商貿易を許されて居た。然し和蘭人は此の特権の爲には、貿易上の利益位では到底償ふ事の出來ない國民的屈辱にも甘んじ、人身の監■束をも忍び、出島より外には一歩も踏み出す事が出來なかつた。極めて最近迄、日本に關した智識は、勿論其處には制限はあるが、全く和蘭人の賜物で、ケンツェル、サンベルグ、チッシン、ドーフ、フィッシャー、メーラン、シーボルトなど云ふ出島の和蘭商館に縁故のある人達が、僅か一年一度の江戸參上の途上で、監■視■の眼を盗■んで書いた記■録に過ぎず、隨つて極めて不十分なものであつた。

右のやうな有様で、世界の文明國は日本に就いては全く何事も判■つて居なかつたとは言ふ事が出來ないが、知れて居る點より知れて居らぬ點が遙に多いのは事實で、謂はゞ日本が今日迄かうして何處の國からも手を着けられずに居たのは、世界新進國たる我々亞米利加人が來て、日本國民が自ら求めて閉籠らんとする鎖■国の牆壁を破壊して和親通商の條約を結び、日本を世界の商業國民の間に紹介する先達となる爲に保存されて居たので、合衆國は又其の適任者として耻つかしくないのである。

我々の亞米利加大陸がコロンブスに發見されたのは(一四九二年)偶然の事で、コロンブスの元来の素志は千二百九十五年に亞細亞の長い滞在から伊太利に歸國したマルコポロ―に依りて初めてジパング(Zipangu)の名で歐州人に紹介された日本に至るにあつたので、彼が初めて今の南米キユーバ島に上陸した時は、一圖に待焦れた日本に着いたと許思つたのである。這■■譯で、運命とでも謂はうか、コロンブスは自身日本を見出して基督教國に紹介する事が出來なかつた。されば彼の行手を遮■り、彼によりて發見された新大陸に崛起した新興の米國民たる者は、自らすすんで日本と歐米諸國との自由交通を開く鍵となり、日本を歐羅巴文明の勢力内に引入れ以て新大陸の父たるコロンブスの宿望を果たす義務があるのである。

加之、千八百四十六年に米國は墨西哥と干戈を交へて、其の結果カリフォルニア州が米國に屬する事と成つた。其の以前、米國の商船が支那、印度地方に行くには、喜望峰を迂廻して三四箇月の日數を費しだが、今カリフォルニア州から太平■洋を超えて彼の方面に赴く事にすれば、航海の日數が非常に減縮する譯である。然のみならず、當時丁度蒸汽船が世に現はれて來たので、此に乗つて太平■洋を越え、支那、印度地方へ往く事とせば、航海の日數が以前に比して殆ど四分の一即ち一箇月前後も減じ、亞米利加の商賣の爲には非常な便利を得る事になる。併しながら蒸汽船の航海には、是非とも途中に於て石炭を積込まねばならぬ。然るに日本は亞米利加と支那、印度との丁度眞中にある國であるから、米國の商船が日本に於て石炭を搭載する事を得れば、米國の商賣の爲非常な利益と成るし、且日本は鎖■国主義を執ると云ふものの、和蘭人には通商を許して居るのであるから、他の外國にのみ之を斷ると云ふ理由はない、是非とも日本と和親通商條約を結ぶ必要があると云ふ考えが、上下の別なく米國人一般の頭に浮■かんで、忽ち一問題となつたのである。

現代文

ペリー提督 日本遠征記

文学士 鈴木周作抄訳

第一編 日本遠征艦隊の巻

一 遠征隊派遣の目的

あらゆる点で日本帝国が世界中の心ある人々から、特別の興味をもって注目されているのは、随分昔からのことである。特にこの有名な国が、ここ二世紀の間鎖国政策をとり、外国との関係を自ら進んで閉ざしていることで、欧米人の興味は一段と高まった。好奇心はほとんど絶頂に達し、したがって各方面の熱心な人々は、我こそはこの絶東の宝庫を開いて、今日までこの孤立した国についてしられている僅かな知識に、新たなものを加えようと躍起になった。政治家は国家の組織、制度、法律等を。地理学者は風土、気候、山川原野の状態等を。また博物学者は動植物などを。航海者は岩石や暗礁、風位、潮流、港湾などを。商人は産物や興行その他貿易の状況、需要のある品の状況など、全ての商業上の事項を調査しようとしている。宗教家は異端邪教の国の国民に福音を伝えて、彼らをキリスト教国の仲間に引き入れようとする。その他、人類学者であれ文学者であれ、その人によって目的は異なるにせよ、この広大で有望なる未知の国土を開発しようとの大目的、大希望においては、誰もが一致していたのである。

これより以前に日本開発の計画は何度も試みられており、ポルトガル、スペイン、イギリス、フランス、ロシアなどの諸国は競って日本との交易を行おうとした。中でもポルトガルとスペインの両国は成功し、共にその地位を保っていた。しかしやがてポルトガル人は追放され、次いでイギリス人もまた自ら日本を見捨てていったため、キリスト教国民としてはオランダ人のみが、支那人と共に長崎の出島で貿易を許された。しかしオランダ人はこの特権のために、貿易での利益程度では到底見合わない国民的屈辱にも甘んじ、身柄の監束(監視・拘束?)にも堪え、出島から外には一歩も出ることができなかった。

ごく最近まで、日本に関する知識は、もちろんそこに制限があるとはいえ、全てオランダ人の成果である。ケンツェル、サンベルグ、チッシン、ドーフ、フィッシャー、メーラン、シーボルトといった出島のオランダ商館ゆかりの人々が、年にたった一度の江戸への旅の途上で、監視の眼を盗んで書いた記録に過ぎない。そのためこれらの知識は極めて不十分なものだった。

そういった状況で、世界の文明国が日本について全く何も分からなかった訳ではないが、知られていることより、知られていない事の方が多いのは事実である。日本が今日までどこの国からも手を着けられずにいたのは、いわば、世界の新進国たる我々アメリカ人がやって来て、日本国民自らが求めて閉じこもろうとする鎖国の障壁を破壊して和親通商の条約を結び、日本を世界の商業国民の間に紹介する先達となるために保存されていたので、合衆国はその適任者として恥ずかしくないのである。

我々のアメリカ大陸がコロンブスによって発見された(1492年)のは偶然のことで、本来コロンブスが目指したのは、1295年に長期のアジア滞在からイタリアに帰国したマルコ・ポーロによって初めて、ジパングの名でヨーロッパに紹介された日本だった。そのため彼が初めて南米のキューバ島に上陸したとき、一途に待ち焦がれた日本に着いたと思ったのだ。そういう訳で運命とでも言おうか、コロンブスは自身で日本を発見し、キリスト教国に紹介することができなかった。ならば彼の行手を遮り彼によって発見された新大陸の、そこに興ったアメリカ国民たる者は、自ら進んで日本と欧米諸国の自由な関係を開く鍵となり、日本をヨーロッパ文明の勢力に引き入れ、新大陸の父たるコロンブスの宿望を果たす義務があるのである。

そればかりでなく、1846年にアメリカはメキシコとの戦いによって、カルフォルニア州がアメリカに属することとなった。それ以前、アメリカの商船が中国やインドに行くには、喜望峰を迂回して3,4ヶ月の日数を要した。しかし今カルフォルニア州から太平洋を超えてその方面に向かえば、航海の日数は大きく減る訳である。それだけでなく、近年蒸汽船の登場によって、これに乗って太平洋を越え、中国、インドの方へ行くとなれば、航海の日数は以前に比べてほとんど四分の一、つまり一ヶ月前後も減り、アメリカの商売に非常に便利である。ただし蒸汽船の航海には、どうしても途中で石炭を積込まなければならない。日本はアメリカと中国、インドとの丁度真ん中にある国であるため、アメリカの商船が日本で石炭を積めれば、商売の上で非常な利益となる。また日本は鎖国主義というが、オランダ人には通商を許しているのだから、他の国にのみそれを断るという理由はない。是非とも日本との和親通商条約を結ぶ必要があるという考えが、上下の別なくアメリカ人一般の頭に浮かんで、たちまち問題となったのである。


入力ノート

遠征記の冒頭は、「遠征隊派遣の目的」から始まる。ここではまず、ペリー来航直前のアメリカから見た日本像が描かれているのだが面白い。もちろんペリーの脚色もあるだろうし、訳者の表現も排除できないが、それでも日本帝國が心ある世界の人士から特別の興味を以て注目されしは久しい以前よりの事”とは、相当である。

後段にあるように、コロンブスがジパングを目指し、結果アメリカ大陸に到達したことで誕生した国としては、特別の関心を抱くのも理解は出来る。しかし連々と政治家から宗教家まで、どのような関心を抱いていたかを挙げるほどに、当時のアメリカ内で日本に対する興味が盛り上がっていたのだろうか。さらに末尾には、是非とも日本と和親通商條約を結ぶ必要があると云ふ考えが、上下の別なく米國人一般の頭に浮■かんで、忽ち一問題となつたのであるとまである。確かにペリーに与えられた権限や艦隊の規模はかなりのもので、社会全体にそのような気運があったのかも知れない。それにしても東洋の果ての、閉ざされた一国への情熱が、そうも高まるというのは不思議である。

たしかにアメリカはペリー以前に、漂流したり、オランダ船と偽ったりして日本と小さな交流を重ねている。そして、日本に憧れと冒険心から自ら密航してきたという、ラナルド・マクドナルドの影響もあったろう。

さらに、ペリーが他のヨーロッパ諸国の、日本への関わりについて述べているのも興味深い。一々国を挙げ、また人物を挙げている。ぱっと見て分かるのは、サンベルグがカール・ツンベルクドーフヘンドリック・ドゥーフ、そしてフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトぐらいか。ケンツェルはエンゲルベルト・ケンペルかも知れない。

これだけ日本に対する他国や先人の情報を知った上で、日本遠征という事業が成ったのであれば、やはりかなりの関心である。当然彼らの著作に何らかの形で触れ、それらも踏まえての計画だったのだから、ただの未開国への冒険ではない。もちろん軍艦を、しかも特権大使を乗せて派遣するのだから、それは大きな政治的外交的事業だろう。たとえばケッペルの著作を読んだのならば、ヨーロッパとは異なる形で現れたジャポニズムがあったかのようにも見える。

コロンブスの宿望と、ジパング伝説というロマンがある。またアジアへの寄港地として、貿易相手としての実利がある。カルフォルニアを手にした地理的情勢の変化もある。そして他のヨーロッパ諸国がまだ、撤退したり、出島での限定的な交易しか手にできていない状況も。そこへ、当時繰り返された日本への微かな接触と、自由な通商を果たせずにきた先人たちの記録。このどれもが相まって、アメリカの日本開拓の盛り上がりにつながったのではないだろうか。

少なくともこの段階では、黒船の目的として一番に語られるような、捕鯨基地を求める様子は見えない。アジア進出は当然目的にしているが、そこにはもう少しもやっとしたロマンも感じられる。これがペリー自身の性質や立場によるものかは、入力を進めてさらに考えたい。

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